鉄鼠覚書

今月26日の「邪魅の雫」に向けて、最近頭の中が京極夏彦。この前までは又市フェア、今日はうっかり「鉄鼠の檻」を再読してしまった。飯も食わずに本読んでたら腹壊した。多分自業自得。
京極夏彦の知識量には驚かされます。これ一冊書くのに一体何年勉強しなきゃならないんだろう。
ところで読み返して、一つ疑問が。
以下「鉄鼠の檻」ネタバレで。




文庫版1338〜1339頁*1
和田慈行が夜座禅を組んでいて後から座禅しに来たのが桑田常信だとは判らなかったと証言していたが、座禅中は五感が研ぎ澄まされているから例え見てなくても誰が来たか判るはずだ、と言うところ。
何で和田は嘘を吐いたんだろうという関口に、京極堂はあの人にはきっと本当に判らなかったんだ――と言ってます。
京極堂がそう言う根拠が書かれてないんです。何でだ。
一番シンプルに考えると、あんな変な寺で修行を積んだ和田慈行は背後にいる人物が判るほどに五感が研ぎ澄まされるような座禅は出来なかった、ということなんじゃないかと思うんですが。どうも納得がいかない。
誰か判る人いたら教えてください。

*1:すごいページ数だ。文庫本なのに。